肺がん末期の母の容態が急変してからの最後の5日間

本題

ステージ4のガン発覚

肺がん末期だった母親が旅立ちました。

享年72歳でした。

最後は施設でゆっくりと旅立っていきました。

去年の夏に末期の肺がんの診断を受けました。

最初は、化学療法をしましたが、すでにがんに全身を侵されていた母の体は1回目で耐えきれず、早々に治療は終了、余命半年と宣告されました。

肺がんから全身に転移をしていることと、高齢で治療に耐えられないことが原因でした。

ホスピスにて余命2週間と宣告

そこから、家族で相談してホスピスに転院しました。

ただ、面会の制限もあり、会えるのは1週間に1回15分程度、ストップウォッチを手渡されて短い時間の面会が許されるのみ。

そうなると人間、どんどん弱っていくようで、明らかに生気がなくなって弱っていきました。

病院という閉鎖的な空間で自由に喋ったりできないことで、気持ち的にも後ろ向きになるのかなと思います。

そこで、医師から呼び出されて、余命2週間と告げられました。

この時は衝撃すぎて冷静な判断ができなかったのかもしれません。

4ヶ月の自宅介護

医者の勧めもあって、自宅で介護することにしました。

そこから4ヶ月、孫に囲まれ余命2週間と宣告された母が元気になりました。

嬉しい反面、子供2人、要介護4のお母さん、夫婦共働きの状態はさすがにキツく、お母さんには申し訳ないのですが、昨年の年末に施設に入ってもらうことにしました。

その時、お母さんには捨てられたと言われましたが、自分の家族の生活が第一です。

そこがあっての介護なので、無理はできませんでした。

介護老人ホームにて

初めこそ、ぶちぶちと言っていた母でしたが、毎週2回のデイサービスが気に入ったようで、また、食事にも満足していて順調に時間が過ぎていきました。

そんな生活が続いていました。

しかし、その時は突然やってきました。

今年に入り、春が過ぎ、夏が過ぎ、暖かい秋から急に寒くなってきた11月中旬、母が吐血したとの連絡を施設から受けました。

食べ物を食べても血として吐いてしまうような状態で、水分もうまく取れないような状態になってしまいました。

同時に、背中が痛むとのことで、モルヒネの量が倍以上になって、痛みのコントロールを行うようになりました。

それからは、息子と娘と奥さん一家揃って3日ほど連続で面会にいきました。

モルヒネの影響からなのか、おしゃべりな母でしたが、力なく喋る母、この時はそろそろ危ないなと思いつつ、余命2週間が1年半も生きている生命力のある母なら乗り越えてくれるのかなと半信半疑の状態でした。

そんな期待も虚しく、がんは無情にも母の命を奪っていきました。

母、他界

吐血をしてから4日後、母は天国へ旅立ちました。

当初、担当していただいていたケアマネージャーの方からは、がんは急に容態が変化するとは聞いていましたが、その通りとなりました。

命日になった日に、お母さんの部屋に寝袋を持って泊まろうと思っていた矢先でしたが、前日、前々日と話せましたし、孫にも合わせることができたので、その点は良かったと思います。

また、外食についても近々考えていましたが、実現できませんでした。

後悔がなかったかと言われれば、ないとは言えません。

ただ、母が生前、何か私がお世話してあげる度にありがとうと言ってくれたことは勇気を与えてくれましたし、ありがとうという言葉の大切さを教えてくれました。

 

息子&娘(6歳2ヶ月&2歳2ヶ月)の成長日記

お通夜の代わりの面会を1時間行いましたが、娘が自由に歩き回ったりと子守りでてんやわんや、対する息子は棺の中のおばあちゃんを見て手を合わせて落ち着いて良い子にしていました。

この日は、カッコいいお兄ちゃんでした。

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